陝西省


勉県武侯祠

所在地:陝西省漢中市勉県

公元236年、即ち孔明病没の2年後に劉禅の命により建てられた最も古い武侯祠。孔明塑像を拝んでいると、管理人?に「君どっから来た」と聞かれ、「日本だよ」と答えると孔明像にお祈りしてくれた。「孔明様、異国の地から来たこの者に加護を与えたまえ」みたいな感じ。
(2007年5月)

アクセス:漢中市内に勉県行きバス多数。勉県で西行きのバスに乗り武侯祠下車。


馬超墓

所在地:陝西省漢中市勉県武侯鎮継光村

陽平関(馬超墓から数km)の守備を命じられていた馬超は222年、47歳でこの地に葬られる。馬超祠の奥に有る。
(2007年5月)

アクセス:武侯墓より東1km程手前。国道沿い。


馬超祠

所在地:陝西省勉県城西老城郷馬公祠村

内部には馬超墓、馬超像(あまりカッコよくない)が有る。また、馬超祠から国道を挟んだ対面には馬超墓碑が隠れている。
(2007年5月)

アクセス:武侯墓より東1km程手前。国道沿い。

諸葛武侯墓碑

所在地:馬超墓碑東約100m

馬超墓碑から東へ100m程行くと、何故か諸葛武侯墓碑が隠れているぞ!
(2007年5月)


武侯墓

所在地:陝西省漢中市勉県定軍山鎮諸葛村

五丈原にて孔明は「わたしが死んだら定軍山に埋めるように」と遺言を残しており、この地に葬られることとなった。内部には諸葛亮墓、諸葛亮石像、塑像、孔明に関係する絵画、合戦ジオラマ、お土産屋と見所満載!
(2007年5月)

アクセス:漢中→勉県とバスで移動し、下車後三輪タクシーで移動。


褒斜道(蜀の桟道)

所在地:陝西省漢中市北約16km褒河鎮

漢中から中原にサプライズアタックをかけることができる桟道。第四、五次北伐で使用された。木牛流馬もこの時に活躍。第四次は蜀軍の連勝であったが、雨で桟道が崩落し、李厳がしくじって補給が途切れ、退却。第5次は10万の兵がここを通り、ラストステージ、五丈原へ…
(2007年5月)

アクセス:漢中市内からタクをチャーター。


定軍山

所在地:漢中市勉県定軍山鎮

法正は定軍山隣の山頂で紅白の旗を持ち、黄忠は中腹で待機。高所より定軍山の動向を覗っていた方正は、夏候淵軍の隙を見つけ、赤旗を振り、黄忠に合図をおくる。それを見た黄忠は攻撃をしかけ、夏候淵を撃破。
(2007年5月)

アクセス:漢中→勉県とバスで移動し、下車後三輪タクシーで移動。無理を言えば上まで上ってくれる。


諸葛亮読書台

所在地:陝西省勉県武侯鎮

諸葛亮は漢中で8年屯兵を行い、軍務の合間にここへ来て読書に耽ったと伝えられる。麓にやぎもいます。
(2007年5月)

アクセス:勉県からバスで武侯祠を通り過ぎ、次のバス停くらいで下車。国道の進行方向右手に小さな丘がある。


諸葛亮制木牛流馬処

所在地:陝西省勉県城東15km,黄沙鎮

北伐時、孔明が運搬道具の木牛流馬を作った場所とされている。石碑の奥に東屋があり、目を凝らして見てみると、その天井付近に張コウが孔明の伏兵に遭い、射殺される絵が描かれている。『張コウ、樹の下において死す』と彫られた樹の下で張コウが矢の雨を浴びている。
(2009年2月、馬一族)

謎の木牛流馬。いったいどんなものだったかについては諸説紛々です。中国最古のロボットだという説、一輪車だろって言う説やらが有り、中国の木牛流馬研究会なるものが研究しているとか。諸葛八卦村の展示では一輪車だったけどな。
(2007年5月)

アクセス:市バス8路に乗り、黄砂鎮で下車。下車後住民に聞く(馬一族)。場所がわかりづらいので、タクシーに任せたほうがいいと思う。聞き込みしながら行ってくれた。私は諸葛亮読書台付近から乗った(そんしあ)。


虎頭橋

所在地:陝西省漢中市内

魏延が馬岱に斬られた場所。虎頭橋自体はもう無いが、「古虎頭橋」と書かれた石碑が建てられている。
悲劇のヒーロー、 魏延。どう考えてもあなたは悪くない。皆さんも魏延将軍を弔いに行ってあげてください!
(2007年5月)

アクセス:漢中市内。ケンタッキー隣。


五丈原古戦場

所在地:陝西省宝鶏市岐山県五丈原鎮

諸葛亮と司馬懿の最終決戦地。百余日膠着状態が続くも、ついに孔明陣没し蜀軍は撤退を開始。魏軍はこれを追撃するが、蜀軍に反撃され退いた。これにちなみ「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の言葉が今に伝わる。蜀軍が退却後、司馬懿は諸葛亮が築いた陣を見て「天下の奇才である」と感嘆した。

三国志ファンなら誰でも知ってる五丈原。三国志ロマンここに極まる!諸葛泉後ろから変な人形が並んだ廟を突破し山上へ。諸葛廟、衣冠塚、落星石が君を待っている!一通り見終わったら、ぼーっと周囲を眺めて想いに耽ろう。
(2007年5月)

アクセス:宝鶏から蔡家坡へバス→蔡家坡で降車後、高店方面行きバスに乗り換え。五丈原下で下ろしてもらう。


古葫蘆遺跡

所在地:陝西省眉県首善鎮葫芦峪村

北伐時、孔明が司馬イ及び魏延を焼きそこなったという葫蘆谷、またの名上方谷。そこには古葫蘆遺跡と彫られた石碑と中には廟が建てられていたが、廟の中へは鍵がかけられており進入出来ず。また、廟の後方には谷みたいになっており、正にここにて司馬イら魏軍を火計を用いて焼き殺そうとしたのであろうか。地形的には不可能ではない地形。

アクセス:蔡家坡鎮から眉県行きのバスの乗車。葫蘆谷は眉県手前にあり、そこで途中下車するのが一番良いが、住民はあまりいないため、聞き込みは難しい。私は眉県に行き、そこからバイタクを使用し、ピンポイント到着した。
(2009年2月:写真、記事=馬一族)


張凝墓碑

所在地:陝西省漢中市内

漢中博物館内に納められている。洛陽の石林博物館みたいに莫大な石碑があるのではなく、探すには程よいくらいの数である。また、今回は前回洛陽での石碑失敗のリベンジということで、墓碑の形状、色などをしっかり頭に入れての捜索だったのですんなり発見。また、同敷地内には、魏延墓の遺跡であるといわれる石馬と石人があるらしいが見当たらず。羊を象った岩があったが、おそらくこれは関係ないものだと思う。(2009年2月:写真、記事=馬一族))

アクセス:市内漢中博物館

追記:漢中へのバス移動はかなり疲れた。シンレイ山脈越えという厳しい道のりのため、バスの乗客が吐いていた。成都市~九寨沟間に次ぐしんどさ。ちなみに西安市~漢中市間のほうが、高速道路使用のためかなり楽とのこと。


古陽平関&古陽平関馬超像

所在地:陝西省勉県武侯鎮

アクセス:市バス3路に乗り、水磨湾で下車。下車後、ガソリンスタンドの横。2009年に馬一族が訪れたところ、馬超像が増えていた。
(2007年5月、2009年2月)


漢中王設壇処

所在地:陝西省勉県勉陽鎮旧州村

漢中王設壇処に向かい考え事をしながら歩いていたらいつのまにか到達していた。情報とおり、門にはカギがかけられており、管理人らしき人物を探すことに。近くを通ったお婆ちゃんに管理人のところまで案内してもらい、『中を見たいので開けてくれ』と管理人に言うと、お金を要求される羽目に。RMB10を支払い進入することが出来たが、金額交渉時にRMB5、10、15と三択だった。その金額の差、本当に謎である。
(2009年2月:写真、記事=馬一族)

アクセス:バイタク利用。万邦大酒店で下車し、そこから漢中方面へ進む。少し歩く(万邦大酒店より1㌔ほど)と南側にたくさんの家屋があり、その中へ。道が入り組んでいるため、あとは住民に聞くのが良い。

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