湖南省


小喬墓

所在地:湖南省岳陽市岳陽楼内

小喬墓一帯は周瑜軍府であったと伝えられている。1993年に廟が作られており、小喬像が置かれている。

小喬は安徽省潜山の出身。彼女は果たしてどれ程美人だったのか?実は『三国志』にも演戯にも記述は無い。しかし、美人ということにしといた方がいいのかな。三国ロマンのために。
(写真提供=馬一族、2006年)

アクセス:市内でいくつもある岳陽楼行きバスに乗る。


岳陽魯粛墓

所在地:湖南省岳陽市内

古くから岳陽一帯の人は、魯粛を賢人として尊敬していた。昔、岳陽では六賢人を祀っていて、このうち一人が魯粛であるという。以後何度も修築され、常に崇拝され続けてきた。魯粛の墓は他にもいくつかあり、ここが本物であるか、確証は無い。しかし、岳陽の民に愛され続けてきたことだけは確かである。
(写真提供=馬一族、2006年)

アクセス:岳陽楼から東1㎞の洞庭橡膠工場内


韓玄墓


所在地:湖南省長沙市内 黄興南路×城南西路付近

「長群中学」内に有り、守衛との交渉に打ち勝った者だけが見ることのできる墓。サイト上では、韓玄墓にチャレンジした日本、中国人の書き込みが散見されるが、失敗したり、苦労した人もいる。中には「韓玄とはどのような人物なのか?」と守衛に問われた人までいる。答えられないとアウトなわけね。

日本では暴虐で能力が低いと認識されている韓玄。しかし、史書ではそんな記述は全くない。それどころか、汪應銓『韓玄墓記』では、「韓玄の威信と知略は人を心服させるのに十分であった。劉備に攻められた韓玄は、民に血を流させたくないという理由で降伏し、自刃した」と書かれている。

南荊州のダメ太守4人衆の一人としてネタにされることの多い彼であるが、実際は立派な人だったのでしょう。私は昔から好きでした、何となく。今後、韓玄様が再評価されることを願っています。
(2009年3月)

アクセス:黄興南路歩行街南端(黄興南路×城南西路)から100m程北上するとマクドナルドがあるのでそこで左折。そのまま100mも歩けば右手に長群中学が見える。


張飛巡視耒陽像


所在地:湖南省耒陽市内 杜甫公園前

ド田舎(耒陽県)の県令に任命された龐統は、酒浸りで百日余りも政務を執らなかった。これを知った劉備は怒り、張飛と孫乾を巡察に向かわせた。確かにこの像からも、張飛が「ごるぁ!」と怒っている様がイメージできる。
(2009年3月)

アクセス:蔡倫記念園から東へ杜甫100m程に有る杜甫公園前。


谷朗墓碑


所在地:湖南省耒陽市内 蔡倫記念園内

谷朗は呉のベトナム・ハノイ方面太守。うーん、聞いたこと無いな。まあ、アクセスが簡単なので行ってみることに。蔡倫記念園内に谷朗碑苑と書かれた扉があったが、扉の向こうは掘り起こされている最中だった。当然墓碑の姿は無し。ということで事務所に聞き込んでみると、「有るには有るけど今は見られませんよ」とのこと。でも、親切に現在の保管場所に連れて行ってくれて、鍵を開け、見せてくれた。なるほど、巻き巻きですな。「開けるのは大変なんです-」と事務所のお姉さんに言われたが、流石にそこまでしてもらうのも忍びないため、巻き巻き状態で写真に収めた。

半年後にはちゃんと展示されるとのこと。「事務所に関連資料を残しておきましょうか」とか、「何なら、今、谷朗研究家呼びましょうか?」とか、だんだん話が大きくなって焦った。私はそこまでの研究家じゃないですー。
しかし、その親切には非常に感謝しております。ありがとう!
(2009年3月)

アクセス:蔡倫記念園へ(バスターミナルからバイクタクシーで10分程。誰でも知っている)。


古県廷

所在地:湖南省耒陽市内 金南路上

龐統は酒浸りで百日余りも政務を怠っていたが、張飛らが巡察に来ると、たまった仕事を半日で片付け、その有能ぶりを見せつけたと言う。

ここは・・・はっきり言って大丈夫かなあ?って感じだった。まず、門が開いてない。門に携帯番号が書かれており、電話したら管理人が開けに来てくれた。で、喜び勇んで中に入って見ると、空き部屋が多かった。張飛馬槽も文字解説だけで、本体は見つからなかった。一番奥の建物に有る龐統先生のお裁き塑像群以外は撤去されているようだ。数年後には別の建物になっているのでは?と危惧される場所である。
(2009年3月)

アクセス:杜甫公園から金南路を南へ1㎞程歩くと右手に瓦屋根の建物が見えるので、そこを右折すぐ。

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