河南省


馬騰墓

所在地:河南省許昌市北郊外蘇橋郷冢許村

伏波将軍馬援の子孫。現在の陕西興平の人。曹操の招きに応じて入宮し衛尉に任じられる。が、同時に親族はギョウ城に軟禁状態となる。その後、曹操は西方への拡大を狙い、馬騰に代り軍の指揮権を握っていた馬超と激突。6ヶ月の戦いが続いたが、離間の計により馬超と韓遂は反目し、軍は瓦解することとなる。翌年馬騰ら一族100余人は殺され、石梁河畔に葬られた(史実上の馬騰)。

だから、あれだけ曹操なんぞの話を聞き入れなさるなと申しましたのに、お労しや馬騰様。ってことで、お墓参りに行ってきました。結構歩きますが、満足度は高い遺跡です。しかし史実では曹操討伐計画など無かったんですねえ。なるほど。
(2009年2月)

アクセス:許昌汽車西站から蘇橋行きバスで途中の馮庄(交差点で降ろされる)まで行く。交差点を北へ道なりに進むと孟店村に入るので、孟店飯店で左折し西へ1km程行く。中許中(小?)学の手前で右折し、北へ真っ直ぐ進むと右手に見えてくる。


華佗墓

所在地:河南省許昌県蘇橋鎮石寨村

「華佗かあ、安徽にも墓があったな。あんまりレアじゃないな、武将でもないし」と思いつつ(失礼)、馬騰墓に行く道のりで看板を発見したので行ってみることに。墓は墓碑が幾つも立てられており、類を見ない豪華さであった。慕われてるんだね、私が悪かったです、軽い気持ちで行ってすみません。内部では管理人が訝しげな表情で見張っていたが、深々と墓にお辞儀すると、とたんに上機嫌になり、現地語でいろいろと説明してくれた。やっぱハートが大事ですね。まあ、9割ほど聞き取れませんでしたが、ありがとう!(2009年2月)

アクセス:許昌汽車西站から蘇橋行きバスで途中の馮庄を目指すと、右手に「華佗墓こちら」の看板が見えるので、降りる。看板の矢印の方向(東)へ1.5km程行くと左手に白い壁が見えてくる。


徐晃墓

所在地:河南省許昌県張潘鎮城角徐村

曹操部下「五子良将」の一人。曹操に付き従い転戦を続け、文醜を討ち取った(関羽じゃないのね)。馬超との戦いでは率先して渡河し、漢中守備時は蜀将陳式を大敗させたといった多くの戦功がある。特に樊城の戦いでは、奮戦して蜀軍を退けている。曹操の賞賛を受けたが、明帝の時期に病死(史実上の徐晃)。

さあ、到達難易度A級の墓へ!ってことで、徐晃様のとこへ。ひたすら畑を歩く。行くなら農作物の無い冬がいいかも。双眼鏡も有ると便利です。なんせ、広い畑にポツンですから…
(2009年2月)

アクセス:許昌汽車東站から201路で張藩を通り過ぎ盆李へ。小さい関帝廟前で降ろされるが、さらに国道を東進。盆李と書かれた道路標識を通り過ぎると北へ通じる道があるのでひたすら(2km程)北進。左手に城角徐村が有るが、無視してさらに畑の道を北へ。高速道路が見えてきたらそっちを注意して見渡してみよう。土盛があるはず。


毓秀台(漢魏許都故城遺址)

所在地:河南省許昌県張潘鎮古城村

東漢末年、曹操が献帝を許昌に迎えた後、ここを献帝の祭壇とした。頂上には天爺廟がある。

徐晃墓のついでに寄った。許昌の観光地を調べると必ずここが出てくる。が、はっきり言って面白くない。こんな最近作ったような人工物見せられてもねえ…。頂上の廟も三国志とは関係無い。入り口の「漢魏許都故城遺址」看板から国道を挟んですぐのところを調べてみよう。なんか出てくるぞ!
(2009年2月)

許昌汽車東站から201路で張藩を通り過ぎ盆李の方へ。盆李から国道を1km程西へ戻ると「漢魏許都故城遺址」の看板があるので、そこを南へ500m程行く。


張公祠

所在地:河南省許昌市張藩鎮門道張村

三兄弟が献帝に謁見する際、滞在した場所。内部は張飛を中心に祀っており、劉備、関羽塑像もある。
毓秀台でおっちゃんに聞いてみると、それ程遠くないということなので、徒歩で行ってみることに。なかなか立派な廟だった。最近改装したのかな。廟内には明嘉靖七年(1528年)《重修漢司馬張公祠》碑が鎮座している。更に、門外には三兄弟が馬を繋いだとされる「三姓樹」という柏の樹も有る。
(2009年2月)

アクセス:許昌汽車東站から201路で張藩を通り過ぎ「段庄」で下車。「段庄」の標識から農道を北へ1km行く。右手に池と村が見えても更にまっすぐ。T字路突き当たり。

董妃墓

所在地:河南省許昌市内八一路×魏文路

献帝の寵妃で車騎将軍・董承の娘。劉備らの同士を募った董承による曹操暗殺計画が漏れてしまったため、董承一族とその一派は捕らえられて殺されてしまい、娘の董妃も例外では無かった。
綺麗に整備された閑静な公園の一角に有る。
(2009年2月)

アクセス:八一路×魏文路へタクシーで。交差点北西角に有る。

王允墓

所在地:河南省許昌市北郊外清yi河西大堤

演義では貂蝉の義父であることと、連環の計で有名だが、史書ではまた違う王允像を垣間見ることができる。

若い頃から「王佐の才有り」と称えられる。→呂布と謀り、董卓殺害。→「董卓を倒した私に抗える者がいようか?」と調子に乗る。文化人蔡邕を死罪にし、呂布が「董卓の財物を兵たちに分け与えましょう」って言ってるのに無視。→人心が離れていく。→李カク・郭汜に攻められ、敗北した呂布に「一緒に逃げましょう」って言われたが「わしは帝を守る」と固辞。そして散る。長安の人々は、老若男女、全員が涙を流した。

いやー。濃いですね、王允さんは。彼のように、ヒーローだけど聖人君子じゃない人好きです。彼のお墓は川沿いにラフな状態でたたずんでいます。遺跡マニア必見!
(2009年2月)

アクセス:八一路×翠林路(川沿いの堤防道)までタクシー。ここから2㎞程川沿いを北上。左手に集落が見えてきたらもうすぐ。


春秋楼

所在地:河南省許昌市中心

関羽が曹操の下に居た時、「春秋左氏伝」を読んでいた場所。奈良の大仏級の関羽像が鎮座しており圧倒される。周りには関平・周倉・廖化・王甫像も。春秋を読む関羽像も立派な出来ばえ。他に甘・麋二夫人の住居も有る。
(2009年2月)

アクセス:許昌中心。どの交通手段でもラクラク。


灞陵公園

所在地:河南省許昌市魏都区許継大道

劉備の居所がわかり、曹操に別れを告げた関羽。曹操は灞陵橋まで見送りに来て、酒を賜り袍を贈ったが、策があると思った関羽は橋の上で馬から降りず、青龍偃月刀の切っ先で袍を取り、去っていった。ここから、五関六将斬りが始まる。

内部には灞陵橋、関羽石像、関公辞曹書銅雕、曹丞相拜送関公之図、青梅亭、関帝廟などが有る。
(2009年2月)

アクセス:市内でタクシー運転手に灞陵橋と言えば誰でも分かる。
曹丞相拜送関公之図
青梅亭

関帝廟

所在地:河南省許昌市内灞陵公園内

また関帝廟か、と思いつつ入ったが、三国志壁画回廊、五虎将軍像、三兄弟像、馬良、寥化像等が有り楽しめた。奥の方を探すと「荀氏八龍塚」(塚本体については前日に捜索失敗。許昌は同じ地名が多くてややこしい)の石碑が出てくるぞ!
(2009年2月)

馬良像 廖化像
荀氏八龍塚碑

文醜廟

所在地:河南省禹州市寨子賈村

Baiduで発見し前から気になってはいたが、なかなか行く勇気がなかった所。寨子賈村を地図で見てみると、結構奥地にある。なんかヤバそうだ。しかし、二人での旅であったため、行ってみることに。禹州の汽車站で寨子賈行きに乗り込むと、運転手に「この前日本人が来たぞー」と言ってました。前に訪れた方、有名人ですね!

寨子賈への道のりは、途中から農道みたいなとこをグネグネ走り、1時間くらいで到着。「帰れるんかい?」と不安になります。村に着いたら東へ200m歩けば右手に見えてきます。廟の中に石碑が安置されています。しかし、あまりの田舎ぶりに速攻で撤退しました。

アクセス:禹州汽車站対面の汽車站から寨子賈行きに乗る。寨子賈へ到着したら、東へ200m歩くと右手に廟が見えてくる。
(2009年2月)


鍾繇、鍾会墓

所在地:河南省長葛市増福廟郷田庄村

鍾繇:書に優れ(特に楷書が有名)、書聖王羲之も鍾繇の楷書を学んでいる。また、内政のみならず軍事にも秀でており、袁紹と組んだ匈奴に対し馬騰軍に援軍を出させ、撃破する等している。

鍾会:鍾繇の子。鎮西将軍に任ぜられ、蜀漢を征伐すべく鄧艾らと出陣。劉禅は降伏し、ここに蜀は滅亡する。その後、姜維と親密になり、共に魏に反逆するも失敗。

鍾繇陵園内に有る。有名人二人のお墓参りができるお得な場所。このお二方について調べてみるととても興味深い。鍾繇は山椒いっぱい食べて自害しようとし、失敗してるし、鍾会なんか魏から派遣されて蜀潰しておきながら、蜀将と仲良くなり、逆に魏を討とうとしているしね。何が彼をそうさせたのか知りませんが、そこんとこ調べてみると面白いかも。
(2009年2月)

アクセス:長葛の長途汽車站から鍾繇大道を北へ行き、「鍾繇陵園」の標識で右折。田庄村に入り、村の東南。私は長葛汽車站から、鍾繇陵園を知っているドライバーのタクシーに乗った。閉まっていた「鍾繇陵園」の扉は開けてくれるし、最終の鄭州行きバスも捉まえてくれる等大活躍。思わずチップをはずんだ。


司馬懿故里

所在地:河南省温県招賢郷安楽寨村

鄭州から結構遠い(2時間半)し、石像しかないが、わざわざ行く価値の有る出来の良い司馬懿像が待っている!司馬懿ってあんまり好きじゃないけど、このカッコよさは認めます。

アクセス:鄭州・二馬路長途汽車站から温県行きに乗る。到着後、温県汽車站からバイクタクシー利用若しくは9路バスの終点まで。道路右側。(2009年2月)


呂布墓

所在地:河南省修武県郇封鎮小蘭封村

墓碑も像も無く、ちっこい廟と土盛だけ。でもここまで来たら行かなくてはならぬ!と意気込んで向かった到達難易度Aクラスの墓。修武汽車站からのバスでは思いっきり降りるべき場所をスルーされ(他の乗客の方が運転手に言って止めてくれました)、1km程歩いて戻るはめに。店も付近に一軒しか無く、タクシーも走っておらず、帰りの頼みの綱はバスだけ。日没になったらやばいな、と思いつつ、砂まみれになりながら捜索。しかし、到達時の喜びははかり知れない。畑の中にあり、その内地ならしされてしまうんじゃないかと心配である。

アクセス:修武汽車站から武陟行きに乗車し、王村で降りると念を押して言っておく。バス停から西南方向に行くと唯一?の商店があり、そこで東へ折れ、カーブしながら道なりに行く。養鶏場(鶏がコッココッコ言っている)の隣まできたら左折しひたすら前進。T字路に突き当たったら右手を見てみよう。土盛があるはず。
(2009年2月)


虎牢関

所在地:河南省滎陽市汜水鎮虎牢関村

三兄弟が卑怯にも三人がかりで呂布と一騎打ち?した場所として有名。現在、風景区として整備されつつあるようだが、今のところ石碑と廟が有るくらいだ。石碑よりも周囲の山がちの地形が興味深かった。

アクセス:鄭州長途客運西站から上街行きに乗る。上街汽車站まで行ってもいいし、公路上に汜水行き(本数多い)がいたら、乗ってるバスを止めてもらって乗り換えてもいい。汜水に着いたら西に1.5km程行くと右手に有る。
(2009年2月)


呂布城遺跡

所在地:河南省滎陽市汜水鎮楼溝村

虎牢関からこんなに山登りするとは思わなかった。しかし、感動は虎牢関石碑を軽く超えている。石碑も看板もなーんも無いけど、山頂で雄大な黄河の流れを見渡せば、ここに来て良かった、中国に来て良かった、と思えるはず。虎牢関石碑だけ見て帰ってしまうのはあまりにも惜しい!道沿いで見られる岸壁に作られた家も面白い。

アクセス:虎牢関石碑の西側がT字路になっている。ここを北へ200m程行くと左手に商店が有るので、ここで左折し、西へひたすら1.5kmくらい山頂に向かって歩く。
(2009年2月)


官渡古戦場

所在地:河南省中牟県官渡鎮官渡橋村

河南の旅のラストを締めくくるにふさわしい、馬超大好きの憧れの地、官渡!だったはずなのだが…ショボーン。テーマパークが閉鎖されているのは知ってたが、あまりにも遺跡がショボくないかい??とりあえず、テーマパークの管理人と交渉し、門の中に入らしてもらったが何にも無い。周囲に有る曹操点将台の曹操像も、「テーマパーク化した時に無理やり作ったんでないかい?」って程度の出来。あと、曹操が馬を繋いだとされる木もあったけど、んー、ここはイマイチかなあ。

アクセス:鄭州客運東站から中牟行きに乗るはずだったが、ちょうどバスがおらず、怪しい客引きに着いていってライトバンぎゅーぎゅー詰めに乗る。5元。スピードが速かったので30分くらいで着いた。中牟汽車站に到着後、バイタクドライバーに官渡古戦場と言えばテーマパークまで連れてってくれる。10分ほどで着。
(2009年2月)


関林

所在地:河南省洛陽市郊外南約7km

関羽の首が葬られたとされる場所。中国では庶民の墓を「墳」、王侯の墓を「塚」、皇帝の墓を「陵」、そして聖人の墓を「林」という。時代と共に関羽塚も陵そして林に改められており、関羽の地位が不断に上がっていったことがうかがえる。関羽を討った呉は、災いを曹操に負わせるためため、魏に首を送った。しかし、これを孫権の計略とした曹操は、王侯として丁重に首を葬ったと言われる。
(写真提供=馬一族、2009年2月)

アクセス:市バス81路に乗り、関林で下車


王基墓

所在地:河南省洛陽市郊外南約7km

王基:魏末期の奇才。戦局を正確に分析することができ、用兵術に長けている。奇兵を以って呉を襲い多くの軍事物資を奪取、また毌丘倹、諸葛誕の叛乱を鎮圧する等の功績が有る。内政にも優れ、要職にありながら清廉潔白であり、私利を得ず、死後に私財は残っていなかったと言われる。

写真撮影禁止とのことだったが、管理人にお願いして撮らせてもらった。王基さんのことはよく知りませんでしたが、ここまで才能と徳を兼ね備えたお方だったとは。思わず頭が下がります。
(写真提供=馬一族、2009年2月)

アクセス:関林内

杜預墓

所在地:河南省偃師県杜楼村

杜楼村北に墓標のみ残されている。「晋当陽侯杜預之墓」と書かれており、その南には杜預の13代後裔である杜甫の墓もある。
(写真提供=馬一族、2009年2月)

アクセス:偃師方面のバスに乗り、杜楼で下車。下車後、公路沿いに杜甫墓の標識があるので、その標識に従う。杜預墓は城関三中敷地内で杜甫墓より近い場所にあり。門番がいないため、学校へは自由に出入り可能。

漢魏洛陽古城 

所在地: 河南省偃師市首陽山鎮龍虎灘村

そんしあさんの情報をもとに、捜索開始。公路沿いにある標識と古城らしきこんもりとした場所は発見したが、肝心の石碑は見当たらない。頼れる人民二人にヒアリングしたところ、石碑は確かにあるらしいが方言がきつく何を言ってるのかよくわからない。そのため、『どうか標準語を使ってもう一度教えてください』と言うと、今度はご丁寧にゆっくりと話してくれた…方言で。貴方の顔は二度と忘れません!
(写真、記事提供=馬一族、2009年2月)

アクセス:洛陽市内より偃師方面のバスに乗り、首頭山で下車。公路沿いに標識があるが、私は石碑を発見することが出来なかった。


博望坡

所在地: 河南省方城県博望鎮博望村

諸葛亮孔明の初陣。夏侯淳率いる10万の大軍を火計を用いて打ち破った。

是非訪れておきたかった古戦場の一つであり、博望坡と刻まれた石碑と後方には延々と広がる畑があった。また、石碑の後方に樹齢何千年といわれる木があり、住民曰く三国史時代に植えられたらしいが、なんとなく信憑性に欠ける。
(写真、記事提供=馬一族、2009年2月)

アクセス:南陽汽車站より博望ハ行きの本数は少ないが、博望鎮への直行便はある。同鎮到着後、博望坡の石碑まで距離があるため、バイタク利用。また、帰りの便(南陽市)はさらに本数が少ないため、まず方城に行き、そこから南陽市行きのバスに乗車した。


南陽武侯祠

所在地: 河南省南陽市臥龍区

孔明の隠居地と言われる場所。襄樊に古隆中があるが、果たしてどちらが本物なのか。自分は古隆中の方に比があるとは思うが…。敷地内には古隆中と同じく、きゅう耕田、六角井、武侯祠、諸葛草蘆などがあるが、先に古隆中を訪問したせいかここ南陽はなんとなくテンションが上がらず。当時を感じさせるような雰囲気ではなかった。
(写真、記事提供=馬一族、2009年2月)

アクセス:火車站より市バス3路に乗り、臥龍崗で下車。


三顧橋

所在地:河南省南陽市臥龍路中段梅溪河上

劉備三兄弟が孔明を訪れる際に通ったとされる橋。確か、襄樊市内にもあったような…。橋には三顧の礼の故事が彫られており、見ながら橋を渡るのも面白い。しかし、個人的には雪が降る中、訪問した襄樊の三顧橋のほうが印象深い。
(写真、記事提供=馬一族、2009年2月)

アクセス:市バス3路に乗り、育高中学で下車。バス停横の橋。

江蘇省 浙江省 安徽省 江西省
河南省 河北省 湖北省 湖南省
陝西省 甘粛省 重慶市 四川省
雲南省 Top