江蘇省


甘露寺

所在地:江蘇省鎮江市北固山

荊州の返還を狙う周瑜は、表向きは孫尚香との縁談ということで劉備を誘い出し、捕らえようとした。その際、孫尚香と劉備の縁談はここ甘露寺で行われた。結局は孔明に看破されており、計略は失敗。

寺の外に試剣石、魯粛墓、太史慈墓が、境内には孫尚香、劉備の塑像がある。
(2007年9月)

アクセス:駅から4路バスに乗り、「甘露寺」まで行く。


試剣石

所在地:江蘇省鎮江市北固山甘露寺内

劉備が甘露寺での会見後に石を発見し、「荊州に戻ることができ、私が覇権を握ることができるのならば切れよ」と切りつけたところ、切れちゃった。これを見ていた孫権も真似してやってみたら、また切れちゃったそうな。
石像を初め見たときは劉備と孫権が鍔迫り合いしてるのかと思ったぜい!石は見事に真っ二つになってる。ワー、スゴイナア(棒読み)。
(2007年9月)

アクセス:甘露寺敷地内。入り口すぐ。


太史慈墓

所在地:江蘇省鎮江市北固山甘露寺内

1870年(清朝)に鎮江城を修復している際に発見され、以後、保護されているそうな。フェイクでは無い貴重な墓。私は太史慈ファンなので大感激!しっかし、太史慈さんは孫策と一騎打ちした時が一番輝いていたなあ。その後は「あの人は今?」状態になってますが。
(2007年9月)

アクセス:甘露寺敷地内。魯粛墓の隣。


魯粛墓

所在地:江蘇省鎮江市北固山甘露寺内

新しくこちらに移されてきた墓。孫権により北固山峰に葬られ、後にこちらに移されたという記述もあるが…。魯粛墓は数が多いからねえ、フェイクもあるさ。しかし、あらゆる墓は、本当に武将が埋まっているという前提で接しなければならない。「馬一族」は脱帽もせず、なれなれしく墓石に手を置いたため私に叱られるという刑を受けた。ぶった切られなくて良かったね♪
(2007年9月)

アクセス:甘露寺敷地内。太史慈墓の隣。


魯粛墓遺址 

所在地:江蘇省鎮江市第一中学内

元々こちらにあった魯粛墓が北固山に移されたという。中学校のグラウンド脇にある。入り口で警備員に魯粛墓を見たいと言ったところ、先生を呼んで来てくれ、ご丁寧にも案内していただきました。すごく優しい方でした。感謝、感謝!
(2007年9月)

アクセス:第一中学内は地図に載っている。市内のどこからでもから徒歩で行ける。


高陵(孫堅墓)

所在地:江蘇省丹陽市司徒鎮大墳村北

袁術の命により荊州の劉表を攻めたが、劉表配下・黄祖に射られ、死亡。この地に埋葬された。伏兵による射撃(落石の説も有り)で孫堅を倒したとされるだけあって、やはり黄祖は嫌われ者か?

なかなかの田舎ですよここは。炎天下の中を3キロくらい歩きました。でも、丘が近づいてくるにつれテンションが上がります。苦労した分感動も大きい!ちなみに丹陽は眼鏡の街。眼鏡工場ばっかりです。
(2007年9月)

アクセス:丹陽火車站から司徒鎮行きのバスに乗る。譚巷で下ろしてもらい、丘まで3キロ程北上。


陳琳墓

所在地:江蘇省塩城市塩都県大縦湖旅游度假区

中国の検索エンジンBAIDU(百度)でやみくもに検索してたところ、陳琳墓のテキトーな情報に辿り着きました。「実際に有るのか??場所もよくわかんねえぞ」という大きな不安とともにアタックしたところ、実在しました。最近、整備したのかな。綺麗な墓です。周囲には建安七子の碑もあります。旅游度假区の案内看板には書いてないので、係員に聞いてみましょう。
(2008年7月)

アクセス:上海駅裏のバスターミナルから大縦湖行きのバス有り。一日2本。4時間半くらいかかる。降車後、三輪タクに大縦湖旅游度假区と言えば乗せてってくれる。5分くらいで到着。


松江丁奉墓

所在地:上海市松江区新橋鎮

光緒《華亭県志》及び鄭逸梅《三国閑話》では、松江に丁奉墓が有るとしている。墓碑等はすでに無い。盗掘に遭い、解放後には関帝廟となったが、更に小学校、衛生院と変わったそうである。現在の衛生院前には文物保護単位である樹齢400年の銀杏が有るが、ここが丁奉墓の原址である。

丁奉墓って安徽省だろ?と思いつつも、武将一人で複数の墓が有るケースも珍しくない(特に魯粛)し、上海からも近いので行ってみることに。まあ、立派な銀杏以外なんにも無いですが、上海在住で暇なら行ってみても良いかも。心眼で丁奉を感じよう!
(2009年1月)

アクセス:上海から地下鉄1号線で蓮花路駅下車。蓮花路駅前から蓮石線バス等で新橋鎮へ。新南街×新鎮街から東へ100m程行くと左手に有る。衛生服務中心前。


凌統墓

所在地:江蘇省江陰市青陽鎮悟空村

とりあえず、7mの石柱が2本有るという記述しか無い。実際行ってみてもそのとおりである。道路敷設の際に、ちゃんと残しておいてくれただけでもありがたいが。
(2009年1月)

アクセス:無錫の高墩橋車站で青陽経由江陰行きバスに乗るか、江陰西門站から南へ100mくらい行ったバスターミナルに青陽行き、青陽経由無錫行きが有るのでこれを利用。青陽鎮に到着したらとりあえずバイタク、タクシーで悟空寺へ向かう。寺から西へ100m程戻ると徐霞客大道が南北に走っており、交差点から200m南下すると道路の東側に見える

孫権墓

所在地:江蘇省南京市明孝陵内

明孝陵の梅花崗内にある。史書では、蒋陵、呉王墳という別称も見られる。孫権と妻である歩氏の墓。南京の民間伝承では、明の太祖が孝陵を建設する際、「孫権は好漢である。彼に門を守らせよう」ということで取り壊されなかった、と言われている。これが明孝陵の神道が真っ直ぐではなく、曲がっている原因である。
(写真提供=馬一族、2006年)

アクセス:南京火車站で市バス游1路に乗り、「四方城」で降りる。明孝陵景区内にある。


顧雍墓

所在地:江蘇省蘇州市蔵書小王山南嶺

呉丞相・顧雍の墓。決して無駄な発言をせず寡黙な彼であったが、それ故に、また、彼の能力故に孫権からの信頼は絶大であったという。1900年初頭に李根源という方が小王山を買い取り、顧雍墓を探し出して保護したと言う。

BAIDUでこの墓の存在を知ったが、決定的な情報は得られていなかったため、三国志遺跡紹介サイト「三劉」様とこの墓の有無について意見交換させて頂いた。その後、突撃してみるも玉砕。1度目はタクシーで適当に行ったところ、人民墓の群れに連れて行かれ、気味悪いので退却。2度目は墓があるという小王山にピンポイントで向かおうとしたが、結構遠く日没でアウト。

そうこうしている内に、三劉様から、人民に連れて行ってもらい到達したとのお知らせが。で、私達もリベンジに向かったが、見当違いの所を探してしまい挫折。あきらめきれず、4度目のチャレンジを行い、良い線までいっていたが、また、見つからず。

もう、自力では無理だと判断し、三劉様に出来る限り詳しい情報を頂き、5度目の遠征へ。それでも多少迷ってしまったが、なんとか到達。

はっきり言って、この墓は水先案内人がいないと発見できません。なんせ、周囲には人民の墓がごろごろ並んでおり、しかもこの墓自体が人民墓と同じくらいのサイズですから。

しかし、発見したときの喜びはとてつもないです。三劉様、本当にありがとうございました!
(2009年3月)

アクセス:李根源墓から南へ回った小王山南嶺。


北寺塔


江蘇省蘇州市人民路652号

赤烏年間(公元238-251年)に 孫権が母の邸宅として建立した。古くは通玄寺と言う。9階建て(76m)で、呉中第一古刹と賞されている。

簡単に辿り着けるので、蘇州に行った際には是非どうぞ。蘇州市内を一望しよう!

アクセス:人民路沿いに有る。駅から徒歩でも行けるし、ここを通過するバスも多い。
(2009年3月)

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